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アンドロイド兵計画
アンドロイドの第一人者、オルロイ教授の日本亡命を契機に立案された自衛隊の兵器計画。
当初は前線で戦闘する一般地上兵としてのアンドロイドが計画された。
試作機はそれなりに高い性能を発揮したものの、一体あたりにかかる費用はあまりにも膨大であった。
さらには、前線の過酷な使用に伴うメンテナンスの要員や手間も必要で、人間の兵士に比べたコストパフォーマンスの悪さから、この計画は中止された。

その代用として計画されたのが、アンドロイドをTGSの前線指揮官として利用するアイデアであった。(「TGS」の項参照)
前線指揮官であれば、必要数も絞れ、かつ直接戦闘を行う兵士と違ってボディにかかる負荷も大幅に軽減でき、メンテナンスの手間も減らすことができる。
こうして、ソ連侵攻に対する反抗作戦までに4体のアンドロイドが制作され、実戦に投入されることとなった。(5体目も計画されていたが、ソ連侵攻によって計画は中座し、日本各地でテストされていたパーツはその多くが行方不明となった)

 

TGS
タクティカルアーム・ジェネレーション・システム(戦術兵器統括システム)の略。
個別の兵器に端末を組み込み、それらの諸元を、司令部にあるスーパーコンピューターで統括処理して有機的かつ効率的な部隊運用をはかるためのコンピューターシステムである。
さらに、スーパーコンピュータの手足となるアンドロイドにスパコンの衛星中継システムと部隊指揮用のAIを搭載することで、TGSは格段の成果を発揮できるようになった。

アンドロイドは実際に前線に出て、現場で刻々と変化する膨大な情報を処理し、スパコンに送る。
スパコンはそれを解析し、アンドロイドにフィードバックさせる。
そして、アンドロイドはデータを元に的確な指令を出して、個別の兵器や部隊を統御する。
これにより、部隊の運用効率は飛躍的に跳ね上がったのである。

 

プログラムスキル
アンドロイドの戦闘指揮能力を向上させるアプリケーションソフト。
さまざまなプログラムスキルをインストールすることで、戦況に合わせてその指揮能力を向上させることができる。

画期的なのは、アンドロイドのAIが、人間の脳のように発達することである。
そのために、アンドロイドには人間と同じような感情回路が取り付けられ、感情を学習することによって、AIの発達を促進するのである。
AIの発達によって、アンドロイドは、より高度な、もしくは複数のプログラムスキルを運用することができるようになる。

だが、感情回路とAIの発達、プログラムスキルが密接に連携したこのシステムは、セットされているプログラムスキルの種類によってアンドロイドの人格にも影響を及ぼすことになる。
その結果、時として、当初設定されていた人格とまったく異なった反応をアンドロイドが示すようになるという事例が多々見受けられるようになった。

 

セクサロイド
アンドロイド兵計画(TGS計画)で作られたアンドロイドたちには、もう一つの隠された役割があった。それが、セクサロイドである。セクサロイドとは、性的な奉仕を目的とするアンドロイドである。

TGSでのアンドロイドは、前線指揮官という立場上、戦場での高官たちをサポートする役目を担っている。
戦争時の慰安問題に頭を悩ませていた軍部は、どうせ高官の側に仕えるのならば、夜の相手もさせればいいと考え、その結果、アンドロイドたちには、性的な奉仕を可能とするプログラムと、性交可能な肉体を与えられた。
アンドロイドの外見を機体ごとに変える必然性はTGSの観点からはまったくないにも関わらず、実際にはさまざまタイプが作られたのも、男性の様々な好みに答えるためのテストケースを兼ねているためである。

 

ソビエト連邦
この世界におけるソビエト連邦も、1980年代末から1990年代にかけて、やはり内政は悪化の一途をたどっていた。
度重なる経済政策の失敗。
終わることなき民族紛争問題。
もはや連邦制度が破綻寸前になっていることは、誰の眼にも明らかだった。

だが、社会主義政策から方針を転じて、自由経済政策を打ち出すべきだとの意見は黙殺された。
ゴルバチョフらはペレストロイカとグラスノスチによる改革を目指したが、共産党員や軍部からの激しい抵抗を受け、ついに陽の目を見ることなく現体制が維持されることとなる。
ソ連政府は、それら内政の矛盾を、外征へと振り向けることで解消しようとした。
そして極東において限定戦争を起こすべく、虎視眈々と日本侵略の機会を狙っていたのだった。

 

ソ連侵攻
2006年6月、北方領土海域で発生した漁船拿捕事件を契機に、日ソ両国の関係は急速に悪化。
内政の不満の目を外に向けるべく、本侵略の機会を狙っていたソ連は、この事件を利用して強攻策に出る。

同年12月。
ソ連の戦略ミサイルが、北海道および日本海沿岸の自衛隊レーダー施設を奇襲。
シーレーン防衛システムは麻痺状態となった。
同時に、ソ連軍による日本海周辺の制海権・制空権奪取という最悪の事態を迎える。

折悪しく、米国第7艦隊は、東南アジア方面においてイスラム系テロと海賊団への対応に手間取られており、わずかな留守部隊を沖縄に残したのみで、主力をモルッカ海峡に展開していたため、ソ連艦隊に対処することができなかった。
国際世論はソ連の侵略行為を激しく非難したが、もう後のまつりであった。

そして、明けて2007年1月。
ソビエト侵攻部隊は大挙して北海道・東北・北陸に上陸を開始することとなる。

 

東京決戦
2007年1月に東京近郊で行われたソ連軍と自衛隊の一大会戦。

2007年初頭、上陸を開始したソ連軍は、瞬く間に北海道・東北・北陸を制圧。
新潟周辺に橋頭堡を築き、大戦力を揚陸させた。
戦力を集中させたソ連軍は2007年1月下旬、関東へ向けて進軍を開始。
自衛隊東部方面隊は東京方面に進出するソ連軍主力を迎撃するも、戦力の差は大きく、1月29日、日本はソ連によって首都を占領される事態となった。
(この時期、米主力艦隊は東南アジアに展開しており、東京決戦に間に合わなかったことも大きい)

この敗戦を契機に静岡・名古屋・大阪・京都・広島といった主要都市もソ連軍によって蹂躙。
敗走した自衛隊戦力は福岡に集結し、さらに北上した米艦隊が福岡周辺の制空・制海権をなんとか取り戻し、日本は、福岡に暫定政府をおくこととなる。
米艦隊とソ連艦隊は対馬沖でにらみあいを続け、戦線は関門海峡をはさんで膠着状態となった。

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